▲年月日 | 記事 | 作成 (更新日) |
1941-06-04/水 | 日立製作所笠戸NO.1469 新製 配属 東京局 配置 水戸区(着 6/15) | D51791 |
1943-10-26/火 | 18:54頃、常磐線土浦駅上り1番線に貨294ㇾの牽引機(機番不明)が到着後、入換のため貨車41輌を入換線に引上げたところ、転轍器が異方向に開通しており本線分岐転轍器を割出して本線を支障 | D51791 |
1943-10-26/火 | 折あしく貨254ㇾ(本機+現車53輌換算115.4輌)が場内信号機の進行現示に従って入構したためにこれを衝突し本機は貨車に食い込み、次位の貨車14輌は脱線転覆し下り本線を支障(なお、機番はD5154の可能性あり) | D51791 |
1943-10-26/火 | そこに通過中の下り客241ㇾ(機番不明)がさらに接触し客車2輌脱線、3輌目は桜川橋梁から傾斜、4輌目は桜川水中深くに埋没する事故発生 死者110負傷107 | D51791 |
1947-04 | 現在 水戸区(東京局の'43/10/31現在の配置表上には水戸区に本機番の代わりに別機番D51652の記載があるが、当該機はこの時期 国府津区に在籍しており、水戸区のものは本機番の印刷ミス) | D51791 |
1949-07-06/水 | 00:20頃、常磐線綾瀬-北千住間を貨869レの牽引機として走行中に東武伊勢崎線のオーバーパスを越えた付近で国鉄初代総裁下山貞則氏(前日朝に三越に入った後に行方不明)を轢断 但し、本機乗務員は雨まじりで遅延気味の運転回復を試み力行中であったうえ前照灯不調でもあり轢断の自覚なく通過、死体は上りの国電運転士により発見される 生体轢断か死後轢断かで法医学上の論争から他殺説(国鉄余剰人員首切りがらみのGHQか共産党の謀略を唱える)・自殺説が新聞各紙の煽りとあいまって警察内部も錯綜し結局迷宮入り | D51791 |
1950-03-14/火 | 郡山工機部 煙突取替 | D51791 |
1953-04-01/水 | 現在 水戸区 | D51791 |
1959-09-22/火 | 水戸区→平区 | D51791 |
1965-03-27/土 | 平区→熊本区(着 3/28)(某hpには糸崎区に移動とあるが誤り) | D51791 |
1965-09-13/月 | 熊本区→新見区(鉄道ピクトリアル vol.180の車両のうごきには別機番D51561とあるが本機番の印刷ミス) | D51791 |
1965-10-21/木 | 後藤工場 後藤式集煙装置取付(鷹取式に似た後期型)・換気装置(左側)取付 | D51791 |
1969-03-31/月 | 現在 新見区 | D51791 |
1972-03-13/月 | 伯備線のD51三重連定期運用最終日に貨2492レを牽引(D51889+本機+D51758+FC)(なお、翌日の3/14はD51重連運用に変更 更に3/15ダイヤ改正で列車番号が5390レに変わり、DL+D51の重連運用となって布原の狂宴は終了) | D51791 |
1972-09-16/土 | 廃車(新見区) 走行距離 約2,170,000km | D51791 |