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SL北緯40゜号
(東北本線 盛岡-二戸 1994.5)
SL北緯40゜号【モバイル】
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SL北緯40゜号 御堂-奥中山 1994-05-22 御堂-奥中山 往年のアングルを再現(したつもり) [MAP]

東北本線 SL北緯40゜号

1994年5月21・22日、JR東日本・東北本線(現在のいわて銀河鉄道)の盛岡駅〜二戸駅間(70.8km)の区間に運転されました。

機関車はD51498、客車は12系5両、営業運転は1日あたり片道1本だけの運転で、下り:盛岡⇒二戸のみ。

復路(上り:二戸⇒盛岡)は回送でED75牽引、D51498は後部ぶら下がりでした。ED75は毎日、八戸から単機回送されてきたため、下り営業列車に後部補機という形ではありませんでした。

SLの現役時代を知らない私でも、奥中山という名前は何度も耳にしており、1日に下り1本しかない点を差し引いても期待度は満点。

この僅か2週間前、「北斗星6号」A寝台ロイヤルでこの付近を通過中に地震に遭遇し、その場で一旦停車後、ソロソロと次の駅まで行って抑止を食らったのが、何の因果か奥中山駅(現在は改称されて奥中山高原駅)でした。

私の行程は、試運転19(木)・20(金)、営業運転21(土)・22(日)の4日間。夜勤明けそのまま朝一の新幹線で盛岡へ。すでにD51はホームに入線しており、あと2,30分で発車というところ。

一見すると時間に余裕がないのですが、直前の普通列車に乗って行くとSLとの時間差がどんどん広がり、奥中山では1時間以上の余裕ができました。

この区間の普通列車は、12系や50系といった客車が大真面目に使われていた時代です。50系は本数が少なかったのですが、午後のぶら下がり回送を撮り終えたあとの「鉄回収列車」がちょうど50系の運用列車で、朝に乗る12系と合わせてフルコースを楽しめました。

しばしば途中の辺鄙な駅で「通過列車待ち合わせ」などといって、コンテナ貨物が追い抜いていくのにはナンダカナーと思いましたが。

⇒ 盛岡-二戸間の沿線にある宿泊施設

SL北緯40゜号 御堂-奥中山 1994-05-21 御堂-奥中山 後ろは姫神山 [MAP]

SL北緯40゜号 御堂-奥中山 1994-05-21 御堂-奥中山 [MAP] SL北緯40゜号 御堂-奥中山 1994-05-19 御堂-奥中山 [MAP]

SL北緯40゜号 好摩-岩手川口 1994-05-20 好摩-岩手川口 [MAP]

SL北緯40゜号 小鳥谷 1994-05-21 小鳥谷 回送 [MAP] JR野菜畑 1994-05-20
御堂-奥中山 [MAP]

[an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive] Last Updated 2013-07-01