スマホ版 | オリエント急行 D51498 1 2 画像のみ by デゴイチよく走る! |
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■1988-12-23(金) 蕨 回3093M 489系x9 (後追い) |
1988年12月23日(金)、蕨にて。
JR発足2年目となる1988年(昭和63年)は、青函トンネルと瀬戸大橋が相次いで開通し、鉄道界に大きな変革をもたらしました。 そしてアメリカン・トレインやオリエント急行の国内運転が行われたのも、この年です。 国鉄の分割民営化は大変残念な出来事でしたが、JRの予想以上の好調ぶりに「衰退気味だった鉄道がまた復権に向かうのではないか」という勢いと期待が高まりつつありました。 そして、それを象徴するかのようなトップ・イベントが今日。 簡単に書けば、東京(上野)発オリエント急行の最終運行日、ということになりますが、機関車がタダモノではない。 そう、D51498。 今でこそ東日本管内では神出鬼没の同機も、永い眠りから目覚めて最初のお披露目が、オリエント急行の牽引でした。 デビューを祝うに相応しい、最高に華々しい舞台が用意されたのです。 D51498 が牽引に当たる区間は、上野→大宮間。EF5861 のサポートを受けながら、首都圏を駆け抜けます。 |
■1988-12-23(金) 蕨 115系 |
■1988-12-23(金) 蕨 3023M (上野15:00→長野17:49) 特急「あさま23号」 189系x9 |
■1988-12-23(金) 蕨 37M (上野15:17→秋田23:04) 特急「つばさ17号」 485系x9 |
■1988-12-23(金) 蕨 3043M (上野15:30→金沢21:35) 特急「白山3号」 489系x9 |
■1988-12-23(金) 蕨 9701列車 D51498 + EF5861 + ORIENT EXPRESS '88 |
当日の私は、終業式か何かで午前中は学校に行っていました。
学校から直で撮影に向かうことも考えましたが、何日も前から「ここで撮ろう」と決めていた場所は高めの柵があって、私の身長では銀箱に乗らないと高さが足りません。 一旦帰宅して昼食もそこそこに、三脚と銀箱を持って再出動しました。 目星を付けていた場所は、蕨駅のトイ面にある駐車場。 蕨駅はホームからでもスッキリと撮影できますが、京浜東北(北行)と旅客線上りの「カブリリスク」および逆光なのも(ガラに似合わず)嫌ってみたわけです。 ちなみに案の定というか、ホームからの撮影では上りの中電がカブっていた気がします。 機関車だけは撮れたかも知れませんが・・・このとき蕨駅ホームで撮影していた方、どうだったでしょうか。 駅を降り、管理人に許可をもらって駐車場へズケズケ入って行きます。 事前にアポを取っていたわけではなく、もしダメと言われたらどうしたのだろうかと思いますが、 当時はまだ社会全体が「なあなあ」な感じで、「ま、OK出るだろう」みたいな楽観的な世の中だったように思います。 現代の「迷惑な撮り鉄」という存在はまだ無く、たまの1日限りのお祭り騒ぎ、行儀良く常識的な振る舞いをしていれば、嫌われたり咎められることもない時代でした。 そして、汽笛一声 ── ほぼ定刻だったと思います。
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[an error occurred while processing this directive] [an error occurred while processing this directive] Last Updated 2014-09-03