▲年月日 | 記事 | 作成 (更新日) |
1927-03-29/火 | 汽車製造大阪 NO.936 新製 18900形 NO.38938 配属 東京局 配置 品川庫(着 4/1) 使用開始(4/19) | D51791 |
1928-10-01/月 | 称号規程改正による形式変更及び改番 C51239 ('28/5/17付 達380号の施行) この頃 お召し列車牽引機指定 給水温め器取外し(最初から取付せず?) 正確な時期不明 | D51791 |
1928-11-06/火 | 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 東京-沼津間(東京発08:00 沼津着11:03)(本機+ナロハニ5997(供奉車230)+ナイロ5181(同121)+賢所乗御車(神霊八咫鏡奉安用)+ナイロ5180(供奉車120)+御料車12号(天皇用)+御料車8号(皇后用)+ナイロ5151(供奉車126)+ナイロ5152(同127)+ホイ5100(同100)+ナイロ5150(同125)+ナロハニ5996(同231)) | D51791 |
1928-11-27/火 | 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 沼津-東京間(沼津発12:27 東京着15:30) | D51791 |
1930-07-03/木 | この年の10月ダイヤで登場する超特急「燕」号試運転列車を牽引(機関車付け替え作業時間を省略するため、東京ー名古屋通し運転・水槽車を炭水車後部に接続して給水もカット 但し、本試運転時はまだ水槽車未完成で通常の炭水車で代替) | D51791 |
1931-01-31/土 | 現在 品川庫 | D51791 |
1932 | 1号編成完成試運転列車牽引 東京~名古屋間(往復) | 51239 |
1932-03 | この頃 1号御料車完成後のお召列車新編成の牽引機として試運転 東京ー名古屋間往復 本機+供奉車461+同300+同400+同330+御料車1号+供奉車340+同460(以降1号編成と略す) | D51791 |
1933-10-22/日 | 天皇陛下北陸方面陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 国府津ー沼津間 本機+1号編成 | D51791 |
1934-11-10/土 | 天皇陛下北関東陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 上野-前橋間(某資料には北陸方面とあるが誤り、某hpに前橋行幸は11/15とある また、某資料にはお召し列車は伊勢崎から太田経由足利市まで東武に乗り入れ(足利行幸は11/16)とあるが、桐生には同日付けで列車到着後に自動車で移動ともあり、足利市から足利に移動しそこから両毛線で桐生に到着したとしか思えないが不自然であり詳細不明 桐生市内の自動車での移動の際に道を誤った責任から警部自殺を図る) | D51791 |
1936-09-01/火 | 品川庫→品川区(職制変更)(某資料にはこの頃 八王子区に移動とあるが、この年の6/18に原宿ー東浅川間をお召し列車が往復した記録あり、おそらくこの運用のために借入したと思われる) | D51791 |
1937-11 | 品川区→新鶴見区 | D51791 |
1939-11 | この頃 借入 沼津区 正確な時期不明 | D51791 |
1939-11-08/水 | 天皇陛下富士裾野近衛師団演習行幸のお召し列車牽引 沼津ー御殿場間(往復) 本機+1号編成 | D51791 |
1940-06-14/金 | 多摩陵参拝御召列車牽引 原宿~東浅川間(往路) | 51239 |
1941-06-10/火 | 多摩陵参拝御召列車牽引 原宿~東浅川間(往路) | 51239 |
1941-07-18/金 | 陸軍士官学校卒業式御召列車牽引 原宿~八王子間(往路) | 51239 |
1941-07-18/金 | 陸軍士官学校卒業式御召列車牽引 原町田~八王子間(復路) | 51239 |
1941-11-07/金 | 葉山御用邸にて御静養のお召し列車牽引 東京ー逗子間(昭和天皇お召列車全記録によるが、この時期すでに電化済みの横須賀線にてELを使わないのは不可解) | D51791 |
1941-11-15/土 | 葉山御用邸にて御静養のお召し列車牽引 逗子ー東京間 | D51791 |
1942-03-27/金 | 陸軍航空士官学校卒業式観閲御召し列車牽引 原宿ー八王子・武蔵高萩ー八王子間 本機+1号編成(八王子でスイッチバックのためC51236と交互運転) | D51791 |
1942-03-31/火 | 現在 新鶴見区(某資料には'45/8/31現在 新小岩区?とあるが誤り 借入の可能性はゼロではない) | D51791 |
1942-07-13/月 | 海軍第11練習聯合航空隊観閲行幸お召し列車牽引 東京ー土浦(往復) 本機+1号編成 | D51791 |
1942-07-13/月 | 第11連合航空隊行幸御召列車牽引 東京~土浦間(往復) | 51239 |
1942-07-16/木 | 陸軍特別共同演習(空対地)お召し列車牽引 原宿ー宇都宮間 本機+1号編成(この時点では宝積寺駅から清原村にあった海軍宇都宮飛行場及び陸軍航空廠宇都宮支廠へ伸びる清原軍用線は未完成、本来は宇都宮駅から伸ばしたかったが鬼怒川を渡る橋梁建設が軍事上問題視された) | D51791 |
1942-07-29/水 | 陸軍特別共同演習(空対地)お召し列車牽引 宇都宮ー原宿間 本機+1号編成 | D51791 |
1942-08-01/土 | 日光御用邸御静養お召し列車牽引 原宿ー宇都宮間 本機+1号編成 | D51791 |
1942-08-12/水 | 日光御用邸御静養お召し列車牽引 宇都宮ー原宿間 本機+1号編成 | D51791 |
1942-12-17/木 | 陸軍士官学校卒業式観閲お召し列車牽引 原宿ー八王子間・原町田ー八王子間 本機+1号編成(会場は相武台にあった陸軍士官学校練兵場、現在の米国陸軍キャンプ座間ゴルフ場 ここに限らず米軍基地は旧日本軍基地跡を接収したもの) | D51791 |
1946-03-28/木 | 天皇陛下戦災復興視察埼玉方面行幸お召し列車牽引 原宿ー熊谷・鴻巣ー川口間 本機+①編成(川口からは自動車にて御着輦) | D51791 |
1946-03-28/木 | 埼玉県行幸御召列車牽引 鴻巣~川口間 | 51239 |
1946-03-28/木 | 埼玉県行幸御召列車牽引 原宿~熊谷間 | 51239 |
1946-06-06/木 | 天皇陛下戦災復興視察千葉方面行幸お召し列車牽引 東京ー成田ー佐原ー銚子間(某誌やhpには大戸で下車とあるが、官幣二社=鹿島神宮・香取神宮への敗戦奉告がらみと思われる) 銚子は米軍空襲でまともな旅館や邸宅が皆無のため、新生貨物駅構内にて御料車を回送し車中泊 | D51791 |
1946-06-06/木 | 昭和天皇千葉行幸時の大戸下車は大利根治水事業と両総用排水改良事業視察のため.佐原から再乗車.なお,成田からは8620形(58682か?) | C58396 |
1946-06-07/金 | 天皇陛下戦災復興視察千葉方面行幸お召し列車牽引 銚子ー千葉間 犬吠埼を視察、千葉から東京へは自動車利用 千葉街道沿道の民衆の歓迎を受ける | D51791 |
1946-06-07/金 | 昭和天皇千葉行幸銚子ー千葉牽引は8620形(58682か?) | C58396 |
1946-11-18/月 | 天皇陛下戦災復興視察茨城方面行幸お召し列車牽引 東京ー日立ー水戸間 県庁にご宿泊 | D51791 |
1946-11-19/火 | 天皇陛下戦災復興視察茨城方面行幸お召し列車牽引 水戸ー石岡 & 土浦ー東京間 | D51791 |
1947-04-01/火 | 現在 新鶴見区 この頃になると東京周辺は電化がすすみ、本機によるお召し列車運転は激減したため、慣らし運転と検査出場の客車の試運転用に随時東海道本線(品鶴線)大崎~小田原間を走行したという | D51791 |
1947-10-15/水 | 天皇陛下戦災復興視察新潟長野山梨方面行幸お召し列車牽引 八王子ー原宿間 本機+①編成 | D51791 |
1951-04-04/水 | 両陛下群馬県全国植樹祭(第2回)行幸啓お召し列車牽引 原宿ー前橋ー原宿間 国旗掲揚および菊紋取付なし | D51791 |
1951-06-22/金 | 貞明皇太后御大葬お召し列車牽引 原宿(宮廷ホーム 13:50発)ー東浅川(仮)間(武蔵陵まで霊柩を運搬する最寄りの仮駅 14:50着) | D51791 |
1952-10-22/水 | 両陛下東北3県(福島・宮城・山形)(第7回)国体行幸啓お召し列車牽引 上ノ山ー原宿間(ただし、米沢ー福島間はEF166が前補機) | D51791 |
1952-12 | この頃 新鶴見区→大宮区 正確な時期不明 | D51791 |
1953-03-19/木 | 借入 新小岩区 返却日 不明 | D51791 |
1953-04-01/水 | 現在 大宮区(ただし、新小岩区に貸渡し継続中) | D51791 |
1953-04-04/土 | 両陛下千葉県全国植樹祭(第4回)行幸啓お召し列車牽引 両国ー千葉間(某資料によると、お召し列車牽引総計104回のラストラン ただし、某誌には同年5/6がラストランとある)(原宿ー両国のみ牽引をあえてELで運用するとは思えず、両国の地上ホームへの乗り換えも考えずらいので両国までは自家用車で乗りつけた可能性が強い) | D51791 |
1953-05-06/水 | 両陛下千葉県行幸啓お召し列車牽引 両国ー千葉間(これが本機のお召し列車牽引ラストランと思われる) | D51791 |
1953-09-13/日 | 借入 尾久区 返却せず | D51791 |
1954-04-01/木 | 大宮区→尾久区 | D51791 |
1954-09-02/木 | 借入 大宮区 | D51791 |
1954-09-08/水 | 返却 尾久区(この頃 お召し機指定から外れる 正確な時期不明 東京局管内は一部ローカル線を除き幹線は電化がすすみSLのお召し列車が激減したためと思われる) | D51791 |
1955-04-13/水 | 尾久区→直江津区 達249号 | D51791 |
1958-10-02/木 | 直江津区→新津区 | D51791 |
1959-07-01/水 | 新津区→新潟区 | D51791 |
1962-06-11/月 | 第一種休車指定 新潟区 | D51791 |
1962-10-26/金 | 廃車(新潟区) 達518号(達も10/26付け) 事由:余剰 長野工場にて解体予定のところ有志による保存の声が新潟局に届き延命 | D51791 |
1963-09-23/月 | 長野工場から万代貨物線経由国鉄新潟教習所構内へ回送 | D51791 |
1963-10-14/月 | 準鉄道記念物に指定 同記念式典の後、新潟鉄道教習所にて保存 | D51791 |
1964-06-16/火 | 新潟地震により土砂に埋まるなど被害発生 放置後の 8月に脱線復旧訓練に利用され復元 | D51791 |
1966-07 | 新潟教習所が鉄道学園として新津に移転したため、側線留置のまま子供の遊び場となる | D51791 |
1972-09-27/水 | 荒廃していたため2ヶ月ほどの整備を長野工場で受けたあとに、梅小路蒸気機関車館に移設保存 | D51791 |
2016-04-29/金 | 京都鉄道博物館落成に伴い同館扇形庫にて公開展示 | D51791 |